2007年02月13日 (火曜日)

日々 李香蘭と三人のヨシコさん

テレビでやってたのを何となく見ていた連休。

ちょうど同じ時期(1940〜45年ごろ?)に
うちの祖母が北京にいたのですが
「私、山口淑子さん会ったことあるわよ。同い年なのよ。」
「川島芳子も会ったことあるわ。そうそう、「お兄ちゃん」って呼ばれてて。」
「中華電映に友達いたのよ、5か国語ペラペラでね」

副音声で解説聞いてるっぽかった。

といいますか、

うちのおばあちゃん、何者なんだ?
大丈夫なのだろうか、いろんな意味で。
(私たち恐い組織に追われたりしないですよね?)

どうも向こうの日本人コミュニティがあって、
そこでつながれるシステムだったらしいのだが。

戦争の話になるとおばあちゃんは長い。
しかも戦争のオモシロエピソードだけをつなげてお届けなので
正直な話、いろんなところから怒られそうなのである。
これまた、この人の持つポテンシャルと言いますか。
悲観視ゼロ人生、といいますか。

現在絶賛行方不明中の祖母の弟が(こういうネタがサラッと出てくるのが恐い)
その昔、完璧な中国語を話し、中国人として軍にいた、と。
困ってる日本人を見つけては、マッチ箱に
「自分は日本人です、困ったら連絡しなさい」とメモを書いたものを渡して歩いたとか
虐殺の目に遭ったものの、夕方に撃たれたもんで弾がそれてて、
(殺す際に、ターゲットを立たせた位置の前に穴を掘ってそこに落とすシステムだったそうなのだが)
てっきり撃たれたと思って気絶して先に穴に落ちてしまい難を逃れた、とか

あれだね、ずっと日本で戦争体験してるともうちょっとディープな捉え方なんだろうけど
そこが、なんつーか、カルチャーギャップというか。

日本に帰国してからの話も
B-29の攻撃から逃げる方法とか、そんなTips、今いらんわ!っていう。
なんでうちの家族は何でも話にオチを欲しがるのでしょうか。
しかも作りじゃなくて実体験的に。

あ、タイトルですが
うちの祖母の名前もヨシコさんな訳で。

04:15 [カテゴリ: 日々] [ BBS ]
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