2009年12月25日 (金曜日)

日々 日々雑感

端的に言えば、少し広義での風邪を引いております。少しね。

風邪を引いたらどうするかといえば、休みます。
人って、寝ないと治んないらしいからね。

ーーー

最近「親孝行、思うときには親はなし」みたいなことがよく起こります。

例えば、中学の時ものすごくグレていたとしましょう。
でも長い時を経て両親と仲良くなった頃に
「ああ、あの時はなんてことを言ってしまったのだ」と。

心当たり、みなさん少しはあるでしょ?

10年くらい前、二十代の前半から真ん中ですか。
社会に出て少し経つと、若いなりに世の中がわかった気になって
自分のことはさておきで、自分にかかわるすべてのものに完璧を求めてしまうのですね。
家族しかり、会社しかり、自分より長く生きててなんでそんなこともわからないのだ?と。
で、相手が不完全だと思ったときにする行動は、噛み付く。

まあ、30過ぎても噛み付いてる人もいるかと思いますが、それはもう、個性ですよね。
30過ぎたら遅刻も個性というではないですか(え

私、たぶんひどく噛み付きまくっていたのですよ。それはもう、自分が正義みたいな顔をして。
対象は、身近な家族から、会社から、社会から、政治から
すべてに腹がたった時期が、たしかにありました。。。お恥ずかしい。

その時は「なんでわかってくれないんだろう」と思ってたんだけど
「わかってもらう努力が足りない」が正解だったのかもしれませんね。

いまさら気づくその事実。

っていう話を
噛み付いてたうちのひとりに会う機会があったので言ってみた今日この頃なんですが

ーーー

友人に、「注意したことを理解するまで10年かかる」という愛くるしい子がいるのですが
ああ、私も、ベクトルは違えど同じだなあと思ったのでした。
その子の偉いところは、10年かかっても気づいたところ。
そして、言われたことを忘れなかったこと。

まあ、生きてる年数に関係はないと思うのですよ。
子どもでもなにか悟ったような子もいるし
年上でも、ある意味「屈託の無い」人もいる。

なので、とにかく

年数はともかく、人間には「その時」が来ないと納得できないアレやコレやが、
まだまだ潜んでいるということなのでしょうな。

昔、これまた別の友人に
あなたは他人のことを自分のように思いすぎる、といわれ
それのどこがよくないのかがわからずにいたのだけど
今はなんとなく理解できる。

あなたは私じゃない。私もあなたにはなれない。
だから、解り合おうとしなければ、何もわからないよね。
で、人間の生活の最小単位は、自分を守ること。
次に、家族を守ること。
対・社会は、その次であると。

自分が自分らしくしっかり生きていれば
よく思う人も悪く思う人も同じくらいいて、それで正解なのではないか。
100%みんなに愛されるなど、そんなことはありえないわけで
80%愛されてて20%愛されていなかったとしても
80%もあれば十分ではないかと
自分にオッケーを出してあげられるではないか。
そこを、ずっと私は20%に気をとられて
大事な何かを見失っていたのではないだろうか。

自分をちゃんと愛してあげないと、人をうまく愛せないと誰かが言った。
不完全な私も可愛い。いいところも悪いところも。
そう思って、少しゆるゆるの遊びの部分を自分に作ってあげることで、うまく回るのではないかな。
そうしたら、ちょっとずつ他人のことも、許してあげられるのではないかしら。

そう思ったら
世の中全てがなんだか愛しいものに思えてきたのです。
ダメなところをチャームポイントに変える魔法。

ーーー

時々こういうpostを繰り返すのだけど
一旦忘れてしまうからなのでしょう。
弱ってるときは、いい時のことを忘れてしまう。

心理学を学んでいる友人がこう言いました。
「昨日の私と今日の私は別の人。明日の私も別の人」。

最近、忙殺のせいか、記憶の持ちが非常に悪いです。
だから、メモを取る。つぶやく。
別の人である「明日の私」へのバトン。

数日後、同居人も同じようなことを言っていたのです。
変なシンクロ。
家族にありがちなシンクロ。
半年以上も一緒に棲んでると、「家族」になってくるのでしょうかね。

ーーー

人と一緒に暮らすことで得られることは「思いやり」かもしれませんね。

一人っ子だし、集団行動苦手だし
絶対無理ーって思ったけど
やりゃあなんとかなったりします。
洗濯物や洗い物が倍になったりするけど
なるべく楽しんで片付けるようにしています。

やってもらったことには「ありがとう」。
やってくれて当然!って、親とかには思ってしまうけど
ありがとうを言い合った方が、お互い気持ちよくいられるのではないのかしら、と思い。

「ありがとう」って「有り難う」と書くではないですか。

ーーー

気づけば年の瀬になっていました。
早いもんだなあ。
女の大厄も今年で終わりです。
この3年は本当にいろいろなことが起こりました。
悲しいことも、うれしいことも。

少し休んで、また厄年があるなんて、知らなかったから!

ーーー

いつの間にか見失っていたなあ、当初の目的を。
私生活を充実させる、をテーマに掲げた2年前だったのに。
公の部分が私を形作るすべてだと、思い込んでいたのですよね。
気づいたら、素の私を18の時においてきちゃってた。

それを、取り戻そうと思ってたんだけど。

ついつい仕事が100%みたいな暮らしをしてしまってよくない。
そのノリで、自分ひとりの生活じゃなくなったら
うまく回らなくもなりますわな。

それでうつうつした時期もあったのだけど
今はそれすら通り抜け、「私」を19歳からやり直している最中なのです。
うーん、50:50でもいいかな、みたいな。公私のバランスがね。

普段の私をイキイキさせたいのです。
いや、してるけどね。今以上に、って意味で。

生活が、楽しくて仕方ないお年頃なのですよ。

ーーー

あ、メリークリスマス。

21:56 [カテゴリ: 日々] [ BBS ]
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