2009年01月24日 (土曜日)

日々 育てる。

育てるという行為が苦手なのである。

サボテンを殺したことが数回ある。
サボテンですよ。
普通枯れないよ。
でも枯れたんですよ。
もとい、枯らしてしまった。

ペットは、怖くて飼えない。

部下というポジションの人間が、過去いたことは何回かある。
今もまたしかり。
何かの「長」になることは、これまでの人生たくさんあった。
学級委員長、広報委員長、部長、などなど。
自分の目線で人をはかるから、己に満たないものを切り捨てがち。

世界各国から精鋭だけを集めて最強チームを作る、巨人みたいなことをするのは容易い。
でも、集める行為が全く容易くない。

みんなのアイドルになることは容易い。
というか
慣れている。
かわいがられるこつはいくらでも知っている。
だがしかし
かわいがるということから遠く離れてしまってはいないか。

だからサボテンが死んだ。

そんな解釈をした。

一人っ子で、親戚にも私より下はいなかったので
下の子をどうかわいがっていいのか解らない。
かわいがるというか、扱いが。

そんなときは、シチュエーションを作って役に入ってみればいいのかもしれない。
それならば、役に入ることならば、慣れていることである。

下の子から見た今の私は
たぶん、若干いやな人に映っているのではないか。

そんなことを考えた。

しかしながら、こちらにもこちらの事情というのがあり
言っていいことと悪いことはあるから
全部をさらけ出して理解を求めるのは、何か違うのだろう。

昔はね
何もかもを知りたいと思った。それが、解り合うことだと思っていたのだけど
ウソなんかいらないからホントのことだけを、って

ホントのことを知ったら、後悔した。

──あれは、助けを求めていたのではなかったのですか。

昔のことを思い出して、ひとり、そんな呼びかけをしてみるけれど。

事実なんてどうでもいいや、嬉しかった思い出だけを、と
今はそんな風に思うのです。

自分の今までの人生じゃ計り知れない、計算できない考え方をする他人に対して
どう理解を、協力を、求めていったらいいのだろうか。
せっかちな私は、成長を待てずに投げ出して、何かを枯らしてしまうのではないだろうか。
私をも枯らしてしまうのではないだろうか。

烙印を押すことは容易いのだけど。

そんなことを悶々と考えても仕方がないから
「はいはい、とりあえず今から私が悪者の役ね」って
そうしてしまった方が楽なのだろうか。

わからないなあ。
解らないことは考えても解らないのだろうなあ。
じゃあ、考えない。

ぼーっと全体を、輪郭をぼんやり眺めるうちに
はっ!と
何かに気づいたりするかなあ。


私の友人に
忠告を理解するのに10年かかるやつがいるんだが
そういえば私は、その子のことも待てなかったんだった。
でもそいつは10年経って、やっと理解することが出来た。
「あんとき言ってたこと、今解った!」と。

遅えよ!って思ったけども。笑

素直に褒めてあげるべきだったかもしれないなあ。

褒める。褒めて育てる。

出来て当たり前、という空気の中、空気を精一杯読みながら生きてきた人間には
先回りして褒められるようなことをして
「別に?」と、ナントカ様みたいな態度で
内心ニヤニヤしながら小さくガッツポーズを取って大人になった人間には

ハードルが高いのである。

たぶん今年の試練は、それだ。
 
 
 
tumblrはじめました。
http://kikka303.tumblr.com/
使い方模索中。
はてブのスピンオフにしたらいいのかなあ。

02:27 [カテゴリ: 日々] [ BBS ]
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