2006年08月09日 (水曜日)

日々 時間帯錯誤とクロニクル

昼間に随分とえぐい話に。

そもそも加藤鷹の本名が「正夫」でショック、ってところから始まって
(そりゃ芸名だろうよ)
なんだかおかしな路線になってしまったのだけど。

とある美術系大学の学祭でゲイバーの模擬店が出た、って話でかなり笑ったのだけど
同大学、SMクラブの模擬店もあったらしく。
また別の美術系大学ではモノホンのストリッパー呼んでそういうイベントがあったらしい。
今は定かではないんだけど。

私、まあ、新宿にある某服飾の専門(未卒業)なんですけど、
学祭のかわりに卒展があって、普通にファッションショーを行うんだけど
大学って、なに、みんなそんななの??
カオスだなあ。

ちなみに専門の同級生で、留学生のチャイニーズの方がいらして、
(だいたいアジアな留学生たちは30前半〜半ばの方が多かった)
歌舞伎町にお住まいだったから徒歩通学していらしたんだけど
「バイトとか何してんの?」
「ダンサーヨ」(片言で)
「へー、今何の曲でやってんの?」
「シャ乱Qの「ズルい女」ネ」
よくよくきいたらストリッパーでしたw

わりと一人暮らしキッズはお水で稼いで学費捻出してましたね。高いから。
そんでバイトはまっちゃって学校こなくなったり。
あともっとひどい状況で学校こなくなったり。
(ググられてもあれなんで伏せておこう。気になる人、口頭にて)

そんなことをふと思い出してみたり。

学校は1年と、2年の前期しか行ってないのであまり記憶もないっちゃないんだけど
やたら寝なかった思い出だけ強く残ってます。課題がすごくて。
友達んち泊まり込みで課題やってたら夜中にロフトが大変なことに!とかw
(若者男女集まればそんなこともあるさ)

で、結局、お金払って何か作って学内評価だけで終わっちゃうか、
お金もらって何か作って社会的評価に繋がるか、っていう
目先だけのことを考えて辞めちゃったのが自分。
退学時に「休学してから戻って卒業したら学校の全面バックアップでいろいろ出来るし」
みたいなオファーもそういえばあったんだけど、
19歳とか、そういうのどうしても解せないときがあるよね。
「自力でなんとかしたるわい!」的な。

今だったら素直に援助金受け取るけどw

なので今進路で悩んでるちびっ子たちにはとりあえず「卒業しろ」と。

でも私は私でほんとにいろんな現場行ったりして
希有な体験ではあるからね。面白かったよ、この10年。

そもそもデザイナーになる気があって学校入ったわけでもなく
(ほんとは販売をやりたかったのでビジネス科に行きたかったのだ)
担任のすすめで基礎科からデザイン科に進み、
クラマニもノリではじめたらリアクションが大きくてやめられなくなっちゃって
なんとなーく流れ流れてここまで来てしまった感も強いけど。

テレビのときのとか、ビデオでちゃんと残ってるし。
雑誌とかもそうだけど、記録が存在してるのはやっぱ面白い。
今見たら面白いかしら。
映像はこっ恥ずかしいのでもう何年も封印を解いておりません。

02:08 [カテゴリ: 日々] [ BBS ]
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