2006年09月05日 (火曜日)

日々 自己分析

深夜のたわごとだしコメントも特にいらないやと、こっちに書いてみる。

某SNSなんかでバトンがきたり占い回ってくるととりあえず乗るタイプなのだが
ことごとく当たる。
というか
思い当たるフシがある。
それは自己分析に基づいて。

「アトリエ日記」と称して書きはじめたのはまだ20世紀、
1999年のことだったけど
やり過ぎなほどの日常さらしは
「クリエーターの生態をお知らせする」というエンターテインメントでもあり
また備忘録。そんなもん読ましてどうする?なことも多々含まれたであろうけど。

「1人称アート」を展開する身としては、
自分の今思ってることや今の状態がどうしてもネタになる。
そう、解りやすさ。
わりと隠し事が出来ないタイプらしい。
する気もさらさらないのだ。
だって、自分は自分でしょ?

三十路恋愛事情、な話を最近さすがにすることが多いのだけど
一応学習能力はある方と自負しているので
でもそれは即ち、選択肢を狭めることにもなりかねない。
別のいい方をすれば「消去法」か。

その「学習能力」の結果として、「アクセルを踏み込み過ぎない」というのがあり
いつも仕事でするみたいに、フカンの視点で一人置いとかないと
かなり間違った方に走り出しかねない。危ないのだ。

その辺で、年とったなーとか思う。

大人はいろいろ考えることや、のっぴきならねぇ事情が年々増え行く動物で
それに対応できるだけの成長は、まだしきれていないのだ。

でも、勘だけはいい。昔から。
麻雀で例えるならば、
「乗った!」と思ったら即リーできるギャンブル精神は持っているつもりで。
しかし、そこに潜む危険性にも最近気付きはじめw
当たれば役萬、振り込んだらハコテンみたいな、

あー、そういうこともうやめりゃいいのか

とか思うんだけど、
無難な人生つまらないじゃない。
だからってわざわざ波を立てることもないのだ。

ぎりぎりのラインでどっちにも転ばないで楽しい、みたいなこともあるけど
そこに何があるかといえば、単なる自己満足なので。

2回ほど大きく転ぶと自分がイヤなこと、相手がされてイヤなこと、だんだん把握もして来て
でも先回りして考え過ぎて動けなくなるのもあほらしい。
「ありとあらゆる種類の言葉を知って何もいえなくなるなんてそんなバカな過ちはしないのさ」
と、小沢健二もいうじゃない。

何がいいたいかと言えば
「動物だからしょうがないよ」と。
(これいろんなシチュエーションで使えそうだなw)

なるときはなるようにしかならんし。

あぁ、寝よう。

そして初期のCharaが強烈に聴きたくなったのだ。

03:21 [カテゴリ: 日々] [ BBS ]
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