2007年05月11日 (金曜日)
【日々】 Girls Talk
友人とサシでガチトーク。
たぶん私たちが高校生とかで、明日がお休みの日だったら
深夜の耐久戦になったであろう。
ずいぶん昔の(25年以上前の)記憶を掘り返す作業をして
自分の、自分へのわだかまりの根っこをずーっと探った。
必要以上に高いハードルを自分に設定するのは何でだろう。
その答えを自分で見つけられたのはエラい。
…って、たしかに、
ネタで「オレ様偉すぎー」っていうことはあっても
自分の中でそれを本当はよしとしていなかったのは
そのときの自己採点が70点ではなく69点だったからなのですね。
偏差値で言ったら65はまあよし、70でよしよし、80をたたき出したらミラクル、
60を切ったら0と同じと。
偏差値って、平均からどんくらいずれてるかをさすものなのに、
単に数字だけを追ってしまった、昭和後半〜平成初期の受験社会の弊害。
一度ミラクルを出しちゃったら、そこから下がることは自分の中で許されず
でもそれ以上って尋常な数字じゃないですよ。
しかし、人間ってどん欲なので、もっと上を求めてしまう。
何のために、の部分は、
ほめられる→うれしい→そこだけが唯一繋がってると感じられる部分→もっとがんばる
のスパイラル。
たぶん実際にはそんなこともなかったんでしょう、周りの人間は。
よく出来ても、出来なかったとしても、
「よくがんばったねー」の返事を用意してたのでしょう。
でも。初回にハイスコアたたき出してしまったが故に、あとに引けなかった。
ちっちゃいころ、3〜4歳からの10年あまりは
ちっちゃいながらも舞台の上に立つのがお仕事でした。
そこは、年齢も性別も関係なくて、ベテランも新人もおんなじ。ハンデなし。
チャンスは1回。ミスったら次はなし。一発勝負のハードプレッシャーな世界でした。
世の中のお仕事はみんなそんな風なんだと、結構最近まで思ってました。
ピンサスが当たるのを家族や友達やみんなが見に来てて
普段あまり会えない人たちもそこにはいて、
終わると、お花をたくさんもらったり、みんなと写真を撮ったり
とにかく、気分が良かった。
大半のステージはそこそこの合格点でした。
その裏ですごい泣きながら練習してても、そんなのは見る人には関係なくて
表のきれいな部分だけを見せるのが仕事でした。
大変なことなんてちっともなかったよ?という顔をして。
人間っぽい部分は、あまりいらないとされてきた。
だから、しくじったりしたときに
ああ、ホントに捨てられる。そう思ったのかもしれません。
うち、いろいろあったあとに、ちょっと落ち着いて
親子でガチ語りをしたことが一回だけありました。
一番親がいなきゃいけなかった時期にいなかったことを
素で謝られてびっくりしたことがあります。
それからは、どっちからともなくその件に触れることはありません。
暗黙の了解というやつです。
言われてみればだけども、
ずっと寂しかったのかもしれませんね。
寂しいと思ったことなかったけど、無意識層で。
オフィスでの変な習性の一つに、まず自分の居場所を確保して
物を置いてバリケードを作る、というのがあるんだけど、
それも原因としてはその辺なのかな。
家族がみんな死んじゃったあとのことを時々思って、
どうやって生きて行こうかをたまに考えたりするんだけど
結構リアルに想像できちゃうから、夜とか恐くなるんだよね。
リアルになってしまう、というのは、
「今の居場所は仮の場所だから、いつかなくなるから、依存しないようにしなきゃ」
を、常に考えてたからかもしれません。
子供だったからそこまでちゃんとはあれだけど、漠然とそんなことを。
まあ、でも、そういういろいろがあって今ここに自分がいて
過ぎたいろいろを全部プラスにする方法は何となく知ってるから
基本「まあ、いっか」みたいな。
自分で自分の首を絞めている原因をちゃんと見つけて、
それを解決するには時間もかかるでしょうが
ちゃんと直そうとしたことがエラいよね、と。
とりあえずそっからでいいではないか。
取り返しのつかない事態になりかけたある事件、も、
大事に至る前にきちんと自分で始末できたこと、
もうそれで十分じゃない。
ものすごく許されないことだったとしても。
なんか今にして思えば飛び級ばっかりな人生だったけども、もういっか。
て思ったらすげー楽になった。
居場所なら、いつも自分のところにあったのです。