2006年08月30日 (水曜日)
2006年08月28日 (月曜日)
【日々】 10 周年の何かを考える
以下メモ書き。
5年前にやったCM2000のデータ発掘作業
.netにブログ機能があるから、そっちで過去作UP。版が現存するものについてはオーダー受け付け
とかいっても軽く100はあるからややつらそうw
イベントは追い追い考えるとして
カラメル登録
まったく意味わからないメモですんませんが。
新作第三弾、タイトルは「MSG」。お楽しみに。さっきラフだけ描いた。
【日々】 夏休み総括
予告どおり大仏に行って来たのでした。
東京大仏。建立当時は日本で3番目に大きいものでした。
現在でも都内最大級。
閉門ギリギリに入ったからコソーリお詣りしてコソーリ出ちゃったw
昔は初詣といえばここだったんだけど。
そこから歩いて下赤塚経由、川越街道に出て成増まで散歩。1時間。
我が地元もちょっとずつ変わり行くのですな。
スキップ村で売ってた「成増T」にインスパイアされての新作第二弾は
『成増は東京都!』。
色もたぶんこのままで行くと思います。
地元商店街からのコラボ依頼も受け付けておりますのでw
ちなみに当初の予定
・事務所の片づけ
いっこうに出来ないまま終わりました。
2006年08月25日 (金曜日)
【日々】 なつやすみちゅう。
2度目の夏休みです。2日間&土日です。
まあ、1週間べたっと休んでもよかったんでしょうけど、
なんか恐い。切迫観念。
「3日目辺りから恐くなって会社に行きたくならない?」
「あと22時前に帰ると罪悪感」
そんな会話がここ1年ほど。
たぶんそれは病です。
そして会社の目指すモノはもっとスマートなワークスタイルなはずで。。
目的があって取った休みでもなく、
チームのシフト表見て「あ、ここ空いてるね」って言ったら
休みにされてた、っていうオチで、
「ひまだー!たいくつー!だれかあそんでー!」
と3歳児のようにだだをこねている30歳。
ちなみに3歳の頃は全くだだをこねることなく
「何か欲しいのないの?」ときかれても
家庭の金銭事情を考慮して首を横に振るような子供だったと母は言うのです。
「一人っ子=わがまま」というレッテルを貼られるのも極端に嫌ったのでしょう。
小さい頃のストレスが大人になって一気に暴発です。
子育て中のすべてのミセスの皆様、どうぞお気をつけ下さい。
あなたの子供に必要以上に気を遣わせ、無理をさせてはいませんか?
そんな夏休み初日。
会社のメール対応をしつつ、夜は同僚らと待ち合わせて
いつもの下北沢。ざわざわ…もとい、「わざわざ」下北沢。
マジックスパイス。Tシャツがかわいかったけど極貧で買えず。
またピンク色のブースでエロい感じで食すのです。
デリケートな男子たちの鬱積物発散場と化していた下北沢。
途中、HY氏の盗撮っぷりがおかしかったなあ。
「今のヤバくない?パンチラ撮ってるっぽくね?」
「失礼な!パンツなんかに興味はない!」
「興味あんのはパンツの中身だろ?」
「オレは女性の心にしか興味がねえ!」
…30にもなって何を夢見ているのかとw
ことごとく蒼い男子の夢打ち砕く「デリケートじゃない三十路」のアタクシ。
日付け変わって本日。
寝過ぎちゃって病院に行けず。
とりあえずフットリフレに行ってみる。
足つぼ。
痛いわけですよ。いろんなところが悪いからw
でも行くんです。ちょっと痛いのが快感。
ふくらはぎマッサージとかくすぐったいんだけど、あえて挑むと。
たぶん、ノリとしてはソフトSMに近いものがあります。
SMはその痛みの先に愛情、マッサージはその先に健康があるからなのです。
だからきっとSっ子にはむきません。
ほんと、ニートだったら毎日通うと思うわ。
夜は事務所でおばあちゃんらと夕飯。
Mステなんて番組を、いつぶりでしょう、拝見。
グループ魂キタ!
歌の出だし「埼京線」で飲んでたお茶を吹き出す、第4学区(※)の私。
※第4学区=東京都にはむかし学区制度というのがあり、
板橋、文京、北、豊島の4区は第4学区と呼ばれ
その学区の中にある都立高校なら、どこを受験してもいいことになっており、
また、志望校に落ちた場合、グループ内の欠員のある学校に
放り込まれてしまうこともしばしば。
ゆえに。偏差値40の子がうっかり偏差値70の学校に入学するはめになって
1週間で辞めちゃったってケースも噂で聞いたことがあるですよ。
また、石橋貴明&古館伊知郎がCXでやってた深夜番組の名前。
二人もまた板橋区成増および北区滝野川出身である。
そう、休み中、東京大仏に行ってこようと思います。徒歩にてw
地元のシンボルだったものの、もう10数年足を踏み入れておらず。
この間仕事中に、なんかの拍子で大仏の話になって思い出したんだよね。
2006年08月23日 (水曜日)
【日々】 回顧というのじゃないけれど
今だったらああ出来た、こう出来た、を今になって論じても何にもならないのである。
幼さを理由に過去の悪行を水に流したりも出来ないのが人の世の常。
今までして来たいいことも悪いことも、全部自分です、と、
認めてあげて初めて大人かなー、なんてことを思ってて
最近やっとそれが出来るようになって、
30歳成人説、大いに同意。
…みたいな出来事があって。
モノを残すことももちろん大事だし、
その、モノを売ることが仕事の我々サービス業なのだけど
物質的なもの以外にも人の心には何か残すことが出来ますよね。
でも人間ってうっかりするとすぐ忘却の彼方にいってしまうから
記憶に植え付ける作業はなかなかに難しいもの。
でも少なくとも、それが出来る立場であったこと(現在もなお)、
実際今でもみんなの心になんかしらの形で保存されていること、
本人としては非常に喜ばしくもあり、
こんな私で、あんなモノたちでごめんなさい、の部分でもあり、
それをバネにもう一丁やらねえとな、オレ、みたいな。ね。うん。
あれだ、ほら、
今もみんなの心にガリバカ日誌とガリガリ君。
いつもこうやって茶化して逃げる。悪い癖。
愛は消えても親切は残る、とはカート・ヴォネガットの言葉。
意訳として「愛は破れるけど親切は勝つ」と、ある方の言ったこのフレーズもまた
(あれから何年も経ちますけどね)私の心にはちゃんと残っているのです。